君を想えば、この胸は。(3)
- 2016/01/07
- 18:37
前編ラストでする。よろしくですりゃ。
「・・・大丈夫ですか?」
彼女にそう話しかけられた時、自分は天馬の世話をしている最中であった。いつも通りに天馬の毛を洗って梳いてやったり、食事を食べさせているだけだったのだが・・・そんなに心配させてしまうほど、自分は思いつめた顔をしていたのだろうか。
「大丈夫ですよー。俺、そんなに具合悪そうに見えますかー?」
いつもの調子で、そう告げる。普段よりも自分の目元が動きづらい気がしたが、はた目にはきちんといつも通りの笑顔に見えるだろう。
「具合が・・・というか、何というか・・・その、張り詰めた顔をしていらしたから。」
カムイ様は不安げに眉根を寄せながら、それでもしっかりと顔をあげてそう言った。言われてみると、顔色もあまりよくありませんねと呟いている。
「張り詰めた、ですかー。最近考え事が多いから、それでかもしれませんねー。」
「考え事、ですか。」
「ええ、そうです。考え事です。」
はっきりと言い切る事で、暗にそれ以上は訊くなという牽制をする。その意思が伝わったのか、もともと内容には興味ないのか、狙い通り『そうなのですね』としか返されなかった。
「やはり天馬に乗っての空中戦では、考える事も多いですか?」
「・・・そうですねー。空中にいれば相手の不意を突いて攻撃する事も出来ますけれど、目立つ分自分が狙われることになりますから。」
「あぁ・・・飛行系の兵は弓の的にもなりやすいですものね。私達地上の兵よりも周りに気をつけなければなりませんから、より気苦労も多そうです。」
「まぁ、注意深くはなりますが・・・気苦労という意味では、軍を指揮している貴女の苦労の方がよほど多そうです。無理だけはしないでくださいねー。」
久方ぶりのねぎらいの言葉を掛けると、彼女の紅緋色の目が軽くみはった。そして、眉根を寄せ困ったような表情をしつつも、嬉しそうに頬を染める。
「励ますつもりで話しかけたのに、逆に私の方が励まされてしまいましたね。」
「励ます・・・?」
そう聞き返すと、カムイ様は俺の真正面に立って真っ直ぐに見上げてきた。芯の通った紅緋色がこちらに向けられ、胸の奥がじわじわと暗い喜びで満たされていく。いっそ、そのまま自分だけを見ていてくれと言えたら、どんなにいいだろうか。いっそこのまま攫ってしまえたら、攫って二人だけしかいない世界にいられたら、どんなにいいか。
しかし、そんな本音を完璧に押し殺して、しっかりと心の奥深くに眠らせて、正面の彼女と向きあった。
「普段のツバキさんは、いつも笑顔で人に接しているのに・・・最近は、思いつめたような表情だったり、表情が強張っている気がして。だから、何か悩み事でもあるのか、具合でも悪いのかと思って・・・心配になったんです。」
「・・・そうだったんですねー。自分じゃいつも通りと思っていたのですが、周りからはそう見えたんですね。」
そう返事しながら、これは格好まずい状況ではないだろうかという事に気づいた。せっかく今まで、誰からも『完璧な人間だ』と思われるように振舞っていたのに、このままではその評価が壊れてしまいそうだ。
そんな事を考えて、冷や汗をかきながら彼女を見下ろした。すると、彼女はゆるゆると首を横に振って、上目遣いで見上げてきた。
「大抵の方は気付いていないみたいです。私がいくら『ツバキさんが心配だ』と言っても不思議がるばかりで。同意してくれたのは、サクラとカザハナさんをはじめとした数人位でした。」
「そう、ですか。」
やはり普段から行動を共にしている主君や仲間はそう思ったのか。自分の事で彼女らに心配をかけてしまった事に、申し訳ない気持ちが押し寄せた。
「・・・ツバキさんは、今も完璧であろうとされているのですよね?」
「え? ええ、はい、その通りですよー・・・?」
「なら、覚えていますか? 私との約束。」
「カムイ様との、約束?」
必死に記憶の糸を手繰り寄せるが、彼女と指きりで約束をした事は何回かあるため、どれの事なのかが分からない。
「ええと、どれの事ですかね? 今度薙刀を使う時に俺の必殺技をお教えするってやつですか?」
「違います。休息の取り方に関してです!」
そう言われて、当時の事を思い出した。俺が、まだ、彼女の近くに気兼ねなくいられた時に交わした、あれか。
「その時に約束しましたよね? 休息をきちんととるって!」
「・・・しました、ね。」
「きちんと実行してますか? きちんと、完璧に休んでいますか?」
「・・・それ、は。」
「サクラが心配してました。一時期は元気そうだったのに、ここにきてまた辛そうにしているって。前よりも辛そうで、私は、彼の主君なのに、何にもしてあげられないって。」
「そんな、事を。」
「カザハナさんだって、ツバキが最近また無理してるみたいだけどどうしたものかって心配してました。フェリシアさんだって、ジョーカーさんだって、スズカゼさんだって、みんな、みんな貴方を心配しているんです!」
一息でそう言うと、彼女が動いた。ふわり、と彼女の温かい手に俺の冷たい手が包まれる。
「ツバキさんは前に私に言って下さいましたね。辛い時は言ってくれって。一人で抱え込まないでくれって。私、そう言ってもらえて嬉しかったんです。本当に、嬉しかったんです。」
「・・・。」
「だから、今度は私の番だと思ったんです。ツバキさん、辛い時は辛いって言って下さい。悲しい時は泣いて下さい。そんな事くらいで、そんな弱音を言った所で、誰もあなたを馬鹿になんてしないんだから。評価を変えたりなんてしないんだから。」
しまいには、俺の手を握ったまま彼女の方が泣き出してしまった。彼女の頬を、後から後から透明な涙があふれてくる。
よくよく考えれば、今現在俺が辛そうに見える原因は目の前の彼女に叶わぬ想いを抱いているからで、そういう意味では貴女が原因なんだけれどと言えなくもないが、流石にそれらをこの場で口にする程の度胸はなかった。彼女の真心を無駄にしてしまうような事は言いたくなかった。
そっと手に力を入れて彼女の手を解き、自由になった手で彼女の背に触れた。子供をあやすように、ぽんぽんと撫ぜる。
「ありがとうございます。心配して下さって。」
「・・・いいえ。私こそすみません。こんな子供みたいに・・・。」
「それだけ本気だったという事でしょう? 貴女の気遣いは、しっかりと伝わりましたから。」
「それなら、良いのですけれど。」
「主君や他の仲間にも心配を掛けてしまっていたようですし・・・今日からはきちんと休むようにします。主に心配かけるなんて臣下失格です。せめて、これ以降は心配を掛けて無いようにしないと。」
「心配をかけないに越した事はありませんけど・・・でも、そこは、そんなに気に病まれなくてもいいと思いますよ。」
「ですが。」
涙を拭きつつそう言うカムイ様に、思わず反論してしまった。しかし、彼女はそんな俺の態度を気にするでもなく話を続けていく。
「貴方は、サクラは治癒の術が上手いからと言って・・・どんなに危険な状況でも、使うのが難しい、大変な呪や祓串でも、使うときに心配しませんか?」
「っ・・・。」
「カザハナさんが、たった一人で大衆を相手にしなくてはならなくても、どんなに不利な状況でも、彼女は強いから気にする事はないと、心から笑って送り出せますか?」
「・・・。」
出来るわけが、ない。割り切れるわけがない。表情には出さないだろうが、心の内では絶対に心配する。サクラ様やカザハナの実力なんて、いつも二人の傍にいた自分が一番分かっている。サクラ様に任せていれば味方の負傷が最低限に抑えられると信じているし、カザハナが国でも有数の剣の遣い手で折り紙つきの実力を持っているのも分かっている。けれど、それとこれとは別問題だろう。
黙り込んだ俺の反応で、自分の質問に異を唱えていると分かったのだろう。カムイ様の表情が、慈愛に満ちた柔らかな笑顔になる。
「信頼していても、強いと分かっていても、身内なら・・・自分にとって、身近な人なら心配なんです。身近にいる、大事な人たちの事なら心配になるものなんです。」
「そう・・・ですね。」
「完璧であろうとする、向上心が高いのは良い事です。人に心配かけたくない、健気で美しい気遣いと思います。私は、常に完璧であろうとする、そうであるために陰できちんと努力している貴方を・・・心から尊敬しています。」
「・・・っ!」
「でも、それに縛られたら、かえって周りを不安にさせちゃいます。明らかに無理をしているのが分かるのに、自分を労わってほしいと思うのに・・・心配掛けたくないからと逆に気遣われたら、こちらの方が辛くなってしまいます。」
「・・・はい。」
「自分が本当に辛い時は、きつい時は、無理に相手を気遣う必要ありません。甘えていいんです。頼っていいんです。弱音を見せていいんです。貴方の事を本当に分かってくれる人なら、そうしても貴方から離れていかないから。それで不満を言うような人なんて、こっちから願い下げだ位に思っておけばいいんです。」
「そうなんですか?」
「そうですよ。勝手に期待して勝手に失望する人の事なんて、気にする方が間違ってます。ああ、そういう人だったんだなと流しておけばいいんです。」
「ははっ・・・そうですね。そうした方が楽そうだ。」
「楽をしていいんですよ。少しくらい手を抜いたって、良いんです。大事な所で踏ん張りが利くなら、別の所ではそうしていいんです。」
彼女がにこにこと子供のように笑う、から。こちらもやっぱりつられてしまう。彼女と同じようにふっと微笑むと、彼女の耳が赤く染まった。
「本当は、そんな素の自分を出してもいいって思えるような頼れる人が、一緒にいて安心できるような人がいたら、それがいいのでしょうけれど・・・小さい頃から皆の前では完璧でいる習慣があるという貴方には、すぐにやれと言っても難しいと思うんです。だから、みんなの前では完璧でいたいなら、皆には必要以上の心配を掛けたくないなら、せめて・・・自室でくらい、一人でいるときくらい息を抜いてくださいね。」
「・・・はい。」
「自分の部屋なんですから、自分しか見ていませんもの。自分自身が、一番自分を信頼してくれる味方なんですから、少しくらい甘えたっていいんですよ。少なくとも、今まで努力してきた貴方なら、少しくらい自分に甘くても大丈夫です! 甘えが行き過ぎないよう、きちんと自分を律する事も出来るはずですから!」
「はい・・・ありがとうございます。カムイ様にそう言って頂けたので、少し楽になれた気がします。もう少しだけ、気楽に考えられるようにします。」
「ツバキさんは完璧な方ですもの、きっと出来ますよ! 今日が無理でも、明日がありますし、明日がダメでも、未来があります。未来があるから、今の自分を追い込んではいけませんよ! それは完璧じゃないですよ!」
屈託なく笑いながら。俺がすんなりと受け入れられるように、絶妙に言葉を使い分けている彼女の心遣いが身に染みた。三つ子の魂云々と言う位だから、どうしたって小さい頃からの習慣や考え方の癖は抜けない。意固地になってしまっている部分もある。それを逆手にとって、敢えて、完璧な俺なら出来ると、完璧な俺だから大丈夫と、言ってくれる彼女の気遣いが、嬉しかった。
「気遣ってくれて、声をかけて下さって・・・ありがとうございました。」
きっと、今の自分は心から笑えているだろうと、確信を持っていた。
***
結局、彼女はいい子なのだ。いい子だから、困っている人を、自分を慕ってくれる人を、落ち込んでいる人を放っておけない。だから、最初はどんなに自分に辛辣だった人間に対してでもあんなに素直に笑えるのだろう。いきなり態度が変わった人間に対しても、叱咤激励して、笑いかけてくれるのだろう。
『完璧を目指すなら、休息の取り方も完璧でないと駄目ですからね?』
そう言って、真っ直ぐに俺の顔を覗きこんでいた紅緋の瞳を、先ほど見せてくれた弾けるような笑顔を、今でも、はっきりと色鮮やかに思い出せる。そうだ、そう言って、俺を心配してくれた、彼女になら、きっと・・・。
胸の奥が彼女のくれた言葉で満たされる。柔らかで、朗らかで、温かな君を想えば、この胸は。
どこまでも、甘く、疼く。
(前編、完)
「・・・大丈夫ですか?」
彼女にそう話しかけられた時、自分は天馬の世話をしている最中であった。いつも通りに天馬の毛を洗って梳いてやったり、食事を食べさせているだけだったのだが・・・そんなに心配させてしまうほど、自分は思いつめた顔をしていたのだろうか。
「大丈夫ですよー。俺、そんなに具合悪そうに見えますかー?」
いつもの調子で、そう告げる。普段よりも自分の目元が動きづらい気がしたが、はた目にはきちんといつも通りの笑顔に見えるだろう。
「具合が・・・というか、何というか・・・その、張り詰めた顔をしていらしたから。」
カムイ様は不安げに眉根を寄せながら、それでもしっかりと顔をあげてそう言った。言われてみると、顔色もあまりよくありませんねと呟いている。
「張り詰めた、ですかー。最近考え事が多いから、それでかもしれませんねー。」
「考え事、ですか。」
「ええ、そうです。考え事です。」
はっきりと言い切る事で、暗にそれ以上は訊くなという牽制をする。その意思が伝わったのか、もともと内容には興味ないのか、狙い通り『そうなのですね』としか返されなかった。
「やはり天馬に乗っての空中戦では、考える事も多いですか?」
「・・・そうですねー。空中にいれば相手の不意を突いて攻撃する事も出来ますけれど、目立つ分自分が狙われることになりますから。」
「あぁ・・・飛行系の兵は弓の的にもなりやすいですものね。私達地上の兵よりも周りに気をつけなければなりませんから、より気苦労も多そうです。」
「まぁ、注意深くはなりますが・・・気苦労という意味では、軍を指揮している貴女の苦労の方がよほど多そうです。無理だけはしないでくださいねー。」
久方ぶりのねぎらいの言葉を掛けると、彼女の紅緋色の目が軽くみはった。そして、眉根を寄せ困ったような表情をしつつも、嬉しそうに頬を染める。
「励ますつもりで話しかけたのに、逆に私の方が励まされてしまいましたね。」
「励ます・・・?」
そう聞き返すと、カムイ様は俺の真正面に立って真っ直ぐに見上げてきた。芯の通った紅緋色がこちらに向けられ、胸の奥がじわじわと暗い喜びで満たされていく。いっそ、そのまま自分だけを見ていてくれと言えたら、どんなにいいだろうか。いっそこのまま攫ってしまえたら、攫って二人だけしかいない世界にいられたら、どんなにいいか。
しかし、そんな本音を完璧に押し殺して、しっかりと心の奥深くに眠らせて、正面の彼女と向きあった。
「普段のツバキさんは、いつも笑顔で人に接しているのに・・・最近は、思いつめたような表情だったり、表情が強張っている気がして。だから、何か悩み事でもあるのか、具合でも悪いのかと思って・・・心配になったんです。」
「・・・そうだったんですねー。自分じゃいつも通りと思っていたのですが、周りからはそう見えたんですね。」
そう返事しながら、これは格好まずい状況ではないだろうかという事に気づいた。せっかく今まで、誰からも『完璧な人間だ』と思われるように振舞っていたのに、このままではその評価が壊れてしまいそうだ。
そんな事を考えて、冷や汗をかきながら彼女を見下ろした。すると、彼女はゆるゆると首を横に振って、上目遣いで見上げてきた。
「大抵の方は気付いていないみたいです。私がいくら『ツバキさんが心配だ』と言っても不思議がるばかりで。同意してくれたのは、サクラとカザハナさんをはじめとした数人位でした。」
「そう、ですか。」
やはり普段から行動を共にしている主君や仲間はそう思ったのか。自分の事で彼女らに心配をかけてしまった事に、申し訳ない気持ちが押し寄せた。
「・・・ツバキさんは、今も完璧であろうとされているのですよね?」
「え? ええ、はい、その通りですよー・・・?」
「なら、覚えていますか? 私との約束。」
「カムイ様との、約束?」
必死に記憶の糸を手繰り寄せるが、彼女と指きりで約束をした事は何回かあるため、どれの事なのかが分からない。
「ええと、どれの事ですかね? 今度薙刀を使う時に俺の必殺技をお教えするってやつですか?」
「違います。休息の取り方に関してです!」
そう言われて、当時の事を思い出した。俺が、まだ、彼女の近くに気兼ねなくいられた時に交わした、あれか。
「その時に約束しましたよね? 休息をきちんととるって!」
「・・・しました、ね。」
「きちんと実行してますか? きちんと、完璧に休んでいますか?」
「・・・それ、は。」
「サクラが心配してました。一時期は元気そうだったのに、ここにきてまた辛そうにしているって。前よりも辛そうで、私は、彼の主君なのに、何にもしてあげられないって。」
「そんな、事を。」
「カザハナさんだって、ツバキが最近また無理してるみたいだけどどうしたものかって心配してました。フェリシアさんだって、ジョーカーさんだって、スズカゼさんだって、みんな、みんな貴方を心配しているんです!」
一息でそう言うと、彼女が動いた。ふわり、と彼女の温かい手に俺の冷たい手が包まれる。
「ツバキさんは前に私に言って下さいましたね。辛い時は言ってくれって。一人で抱え込まないでくれって。私、そう言ってもらえて嬉しかったんです。本当に、嬉しかったんです。」
「・・・。」
「だから、今度は私の番だと思ったんです。ツバキさん、辛い時は辛いって言って下さい。悲しい時は泣いて下さい。そんな事くらいで、そんな弱音を言った所で、誰もあなたを馬鹿になんてしないんだから。評価を変えたりなんてしないんだから。」
しまいには、俺の手を握ったまま彼女の方が泣き出してしまった。彼女の頬を、後から後から透明な涙があふれてくる。
よくよく考えれば、今現在俺が辛そうに見える原因は目の前の彼女に叶わぬ想いを抱いているからで、そういう意味では貴女が原因なんだけれどと言えなくもないが、流石にそれらをこの場で口にする程の度胸はなかった。彼女の真心を無駄にしてしまうような事は言いたくなかった。
そっと手に力を入れて彼女の手を解き、自由になった手で彼女の背に触れた。子供をあやすように、ぽんぽんと撫ぜる。
「ありがとうございます。心配して下さって。」
「・・・いいえ。私こそすみません。こんな子供みたいに・・・。」
「それだけ本気だったという事でしょう? 貴女の気遣いは、しっかりと伝わりましたから。」
「それなら、良いのですけれど。」
「主君や他の仲間にも心配を掛けてしまっていたようですし・・・今日からはきちんと休むようにします。主に心配かけるなんて臣下失格です。せめて、これ以降は心配を掛けて無いようにしないと。」
「心配をかけないに越した事はありませんけど・・・でも、そこは、そんなに気に病まれなくてもいいと思いますよ。」
「ですが。」
涙を拭きつつそう言うカムイ様に、思わず反論してしまった。しかし、彼女はそんな俺の態度を気にするでもなく話を続けていく。
「貴方は、サクラは治癒の術が上手いからと言って・・・どんなに危険な状況でも、使うのが難しい、大変な呪や祓串でも、使うときに心配しませんか?」
「っ・・・。」
「カザハナさんが、たった一人で大衆を相手にしなくてはならなくても、どんなに不利な状況でも、彼女は強いから気にする事はないと、心から笑って送り出せますか?」
「・・・。」
出来るわけが、ない。割り切れるわけがない。表情には出さないだろうが、心の内では絶対に心配する。サクラ様やカザハナの実力なんて、いつも二人の傍にいた自分が一番分かっている。サクラ様に任せていれば味方の負傷が最低限に抑えられると信じているし、カザハナが国でも有数の剣の遣い手で折り紙つきの実力を持っているのも分かっている。けれど、それとこれとは別問題だろう。
黙り込んだ俺の反応で、自分の質問に異を唱えていると分かったのだろう。カムイ様の表情が、慈愛に満ちた柔らかな笑顔になる。
「信頼していても、強いと分かっていても、身内なら・・・自分にとって、身近な人なら心配なんです。身近にいる、大事な人たちの事なら心配になるものなんです。」
「そう・・・ですね。」
「完璧であろうとする、向上心が高いのは良い事です。人に心配かけたくない、健気で美しい気遣いと思います。私は、常に完璧であろうとする、そうであるために陰できちんと努力している貴方を・・・心から尊敬しています。」
「・・・っ!」
「でも、それに縛られたら、かえって周りを不安にさせちゃいます。明らかに無理をしているのが分かるのに、自分を労わってほしいと思うのに・・・心配掛けたくないからと逆に気遣われたら、こちらの方が辛くなってしまいます。」
「・・・はい。」
「自分が本当に辛い時は、きつい時は、無理に相手を気遣う必要ありません。甘えていいんです。頼っていいんです。弱音を見せていいんです。貴方の事を本当に分かってくれる人なら、そうしても貴方から離れていかないから。それで不満を言うような人なんて、こっちから願い下げだ位に思っておけばいいんです。」
「そうなんですか?」
「そうですよ。勝手に期待して勝手に失望する人の事なんて、気にする方が間違ってます。ああ、そういう人だったんだなと流しておけばいいんです。」
「ははっ・・・そうですね。そうした方が楽そうだ。」
「楽をしていいんですよ。少しくらい手を抜いたって、良いんです。大事な所で踏ん張りが利くなら、別の所ではそうしていいんです。」
彼女がにこにこと子供のように笑う、から。こちらもやっぱりつられてしまう。彼女と同じようにふっと微笑むと、彼女の耳が赤く染まった。
「本当は、そんな素の自分を出してもいいって思えるような頼れる人が、一緒にいて安心できるような人がいたら、それがいいのでしょうけれど・・・小さい頃から皆の前では完璧でいる習慣があるという貴方には、すぐにやれと言っても難しいと思うんです。だから、みんなの前では完璧でいたいなら、皆には必要以上の心配を掛けたくないなら、せめて・・・自室でくらい、一人でいるときくらい息を抜いてくださいね。」
「・・・はい。」
「自分の部屋なんですから、自分しか見ていませんもの。自分自身が、一番自分を信頼してくれる味方なんですから、少しくらい甘えたっていいんですよ。少なくとも、今まで努力してきた貴方なら、少しくらい自分に甘くても大丈夫です! 甘えが行き過ぎないよう、きちんと自分を律する事も出来るはずですから!」
「はい・・・ありがとうございます。カムイ様にそう言って頂けたので、少し楽になれた気がします。もう少しだけ、気楽に考えられるようにします。」
「ツバキさんは完璧な方ですもの、きっと出来ますよ! 今日が無理でも、明日がありますし、明日がダメでも、未来があります。未来があるから、今の自分を追い込んではいけませんよ! それは完璧じゃないですよ!」
屈託なく笑いながら。俺がすんなりと受け入れられるように、絶妙に言葉を使い分けている彼女の心遣いが身に染みた。三つ子の魂云々と言う位だから、どうしたって小さい頃からの習慣や考え方の癖は抜けない。意固地になってしまっている部分もある。それを逆手にとって、敢えて、完璧な俺なら出来ると、完璧な俺だから大丈夫と、言ってくれる彼女の気遣いが、嬉しかった。
「気遣ってくれて、声をかけて下さって・・・ありがとうございました。」
きっと、今の自分は心から笑えているだろうと、確信を持っていた。
***
結局、彼女はいい子なのだ。いい子だから、困っている人を、自分を慕ってくれる人を、落ち込んでいる人を放っておけない。だから、最初はどんなに自分に辛辣だった人間に対してでもあんなに素直に笑えるのだろう。いきなり態度が変わった人間に対しても、叱咤激励して、笑いかけてくれるのだろう。
『完璧を目指すなら、休息の取り方も完璧でないと駄目ですからね?』
そう言って、真っ直ぐに俺の顔を覗きこんでいた紅緋の瞳を、先ほど見せてくれた弾けるような笑顔を、今でも、はっきりと色鮮やかに思い出せる。そうだ、そう言って、俺を心配してくれた、彼女になら、きっと・・・。
胸の奥が彼女のくれた言葉で満たされる。柔らかで、朗らかで、温かな君を想えば、この胸は。
どこまでも、甘く、疼く。
(前編、完)