君への気持ちをワルツに込めて
- 2016/04/22
- 00:13
大・遅・刻 もはなはだしいレベルのツバキさん誕生日小説がようやく書き終わりましたよということで。この話を書くにあたって、以前リクエストいただいた「ツバカムでピアノ連弾」の要素を詰め込みました。リクエストして下さったふぉろわ様、遅くなってしまった事を土下座するとともにようやく書きあがりましたことをお知らせいたします。ご期待に添えていればいいのですが。
この話の時点ではともかく昔は楽器弾いてる余裕なんてなかったんじゃないの、とか兄弟姉妹の演奏しそうな楽器イメージは別だ、とかその他諸々は突っ込んではいけませぬ。
そして、二人が弾いているのはグランドピアノ、寄付されているであろうピアノはグランドだったりアップライトだったり。魔法で動くやつは電子ピアノ動力魔力タイプだと思っていただければ。連弾の曲は以前吉川が作った竜と花のワルツ(これ)を想定しております。ツバキさんの言うように洒落ていると思っていただけましたら吉川が天に昇ります←
明日明後日はお休みなのですが、また日曜から新人研修です。吉川にとっては、研修内容よりも研修を福岡で受けられない事の方が一番の悲しみであります←
それでは(どんなだ)追記から言ってみましょうー(・ω・)ノ
『君への気持ちをワルツに込めて』 作:吉川ひびき
い、ろ、は、に、ほ、へ、と。聞いた事のない音色が、聞いた事のある音程を紡ぐ。ぱらぱらと鳴っていた音程は、徐々に流れるような調べに変わった。
「・・・これは、カムイ様か。久しぶりに聞いたな。」
目の前の男が、そんな事を言い出した。相変わらずの腕前だ、シビレるぜ・・・何て言っているが、どういう事なのだろうか。
「これ、何かの楽器の音―?」
そう聞くと、十字の眼帯をつけた男・・・ゼロは、にやりと口角を上げた。
「ああ、そうだぜ。これは暗夜にある楽器の音だ。」
「どんな楽器?」
「レオン様は、ピアノとおっしゃっていたな。」
「・・・ピアノ。」
「そう、ピアノ。」
どこかで聞いた事のある名前だ。なので、どこで聞いただろうかと思って記憶を探っていると、以前エリーゼ様がおっしゃっていた事を思い出した。俺とサクラ様とで琴の演奏をした際に、自分の国には弦を叩く事で綺麗な音を鳴らす楽器があるのだと、嬉しそうに教えて下さったのだ。
この音がピアノの音なら、確かにとても美しい音色だ。エリーゼ様が自慢したくなったのも頷ける。
「ピアノって、どんな楽器なのー?」
「・・・見た目は真っ黒だな。そして艶々と妖しく光ってるんだが、そこから鳴るのはあんな感じの純粋で清純な音色だ。」
「純粋・・・確かに、綺麗な音だよね。」
そんな事を話していると、美しい調べが終わった。そして、間を置かずに別の調べが聞こえてくる。
「貴族の間じゃ、楽器の演奏は嗜みの一つらしいな。王族の方々も、何かしら演奏してたはずだが。」
「へぇ・・・だからカムイ様もピアノを演奏出来るのか。」
「カムイ様は色々出来るぜ。塔の近くを通った時、たまにピアノやらバイオリンやらの音が聞こえてきてたからな。」
「ふーん・・・。」
白夜でも、貴族や大商人等の富裕層に当たる人々が嗜みとして琴や舞などの歌舞音曲を習う事はあるが、それと似たような事は暗夜でもあったらしい。やっぱり、国が違えども考える事は変わらないのだろうか。
「・・・ほら、これは返す。こっちはこのまま預かってレオン様かマークス様に渡しておくから、お前も行ってきたらどうだ?」
「行くって、どこに?」
「とぼけるなよ。カムイ様の所にだよ・・・興味あるんだろ?」
「・・・そうだね。ピアノがどんなものか気になるし、もうそろそろ帰るために暗夜を出ないといけないし、迎えに行って来るよ。」
そう言ってゼロに背を向ける。興味があるのはピアノだけじゃないだろうに、という科白が聞こえた気がしたが、気付かないふりをした。
***
「綺麗な音ですね。」
音が途切れた瞬間をねらって、そう声をかけた。俺が入ってきた事には気づいていたのか、カムイ様は落ち着いてこちらを振り返る。
「綺麗ですよね。久しぶりに見たので、どうしても弾きたくなってしまって。」
もうじき出発なのにすみませんと謝るカムイ様を制し、その近くまで歩いていく。
「これがピアノですか。」
「そうです。これがピアノです。」
ピアノを撫でて嬉しそうに笑いながら、カムイ様が俺の言葉を繰り返す。その仕草から察するに、よほど再会が嬉しいのだろう。
「それにしても・・・こんなに大きな楽器だったのですね。」
目の前にあるピアノは、俺が両手を広げた長さよりも大きかった。そして、開いている蓋の中にはたくさんの弦が並んでいて、とても複雑な構造をしている。
「道理で、音が一階まで聞こえてきた訳だ。」
綺麗な音色をしていると言うので、てっきり小さい楽器、大きくても琴位かと思っていたのだ。加えて『繊細な音色』と聞いていたので、その言葉からは、この大きさはとても想像が出来なかった。
「この部屋まで運ぶのも大変だったと聞きました。でも、ここにあれば兄さんが仕事の合間に弾けるからと・・・。」
「マークス様のためにここに?」
「はい。兄さん、一通り楽器は弾けるようですが・・・ピアノが一番好きなのだとおっしゃっていました。」
先ほどよりも少し大人びた笑みを浮かべるカムイ様。その瞳には、過去を懐かしんでいるかのような感情が見てとれる。
「・・・カムイ様は、マークス様にピアノの奏法を習ったのですか?」
何となくそんな予感がして、ふっとそれを言葉にしてしまった。王族の方々に対して不躾に質問をしてしまって失礼だったろうかと思ったが、気にならなかったのかカムイ様は笑顔で答えて下さった。
「そうなんです。塔から出られない私を気遣って、兄さんを始めとした暗夜の兄弟姉妹たちは色々な楽器の奏法を教えてくれました。」
楽器の演奏なら塔から出られなくても出来ますからね、と呟くカムイ様。自由に演奏できるようになるには時間をかけて練習する必要があるから、楽器の練習を始めてからは退屈な時間はすっかりなくなったと笑っている。
「それでも・・・ピアノを塔に運ぶのはさすがに大変だったようです。ハープの時もだったかな?」
「ハープ?」
耳慣れない楽器の名前が出てきたので、思わず聞き返してしまった。
「ピアノみたいに弦を使って作られている楽器です。そうですね・・・こちらは弦をはじいて音を出しますし、演奏する原理は琴に近いです。違うのは大きさと形かな。縦長で、椅子に座って弾くんですが・・・琴みたいに長方形みたいな形でなくて、ピアノみたいに三角形をしているんですよ。」
「・・・そちらも、マークス様が?」
「いいえ、こちらはカミラ姉さんです。皆それぞれ得意な楽器が違ったので。」
「そうなんですか。ちなみに、皆さまどんな楽器を?」
「マークス兄さんがピアノ、カミラ姉さんはハープ、レオンさんはビオラ、エリーゼさんはバイオリンでした。五人そろった時は合奏もしていましたよ。こうしてみると・・・どれも弦楽器だと言うのは共通していますね。」
「そうですね。音を出すのが簡単ですし、音色も安定していますからね。」
「はい。管楽器だと、種類によっては音を出すだけで一苦労という楽器もありますからね・・・。何か楽器を始めてみよう、と思う方にはぴったりだと思います。」
ぽろんぽろんと音を奏でながら、嬉しそうに熱弁するカムイ様。正直、始めようと思っても楽器を用意する事自体が難しいのではと思うが、その後に続けられたピアノの種類の話を聞いて納得した。
小さめのピアノや魔法で動くピアノは安価で作れるから、中流階級位の人なら自前で用意し、練習を始める事が簡単なのだそうだ。また、戦後の復興の一環として、町に楽器を寄付したりもしているらしい。寄付した分の楽器は誰でも使えるから、市井の人々が楽器に触れる機会は多くなっているはずだ、との事だった。
「いつか、階級は関係なくその才能を開花させる人が現れたら・・・これに勝る喜びはありません。」
『芸術を布教し根付かせる事は、国力が豊かで平和な国になる事につながってくれるはずだ』という彼女の意見に、その通りだと返事をした。
***
「そういえば、私ツバキさんに謝らないといけないんです。」
ピアノを弾く手を止め、カムイ様がくるりとこちらを振り向いた。彼女は申し訳なさそうに眉を寄せるが、思い当ることがまるでない。
「何をですか? カムイ様が詫びるような事など、何一つないと思うのですが・・・」
不思議に思ってそう返すと、彼女の首がふるふると左右に振れた。じっとこちらを見つめられて、耳が熱くなって来るとともに鼓動が速まり強くなっていくのを感じる。
「ツバキさんは今日お休みでしたのに、わざわざ暗夜行きに付き合わせてしまいました。だから、申し訳ないなって思って。すみませんでした。」
「・・・あぁ、気にしないでください。俺の方から志願したんですし。」
「いいえ、他ならぬ今日、というのが余計に申し訳なくて・・・」
「今日だから?」
今日はそんなに特別な日だったろうかと考えて、そして・・・そういえば、と、とある事に思い当った。それと同時に、彼女のふっくらとした唇が言葉を紡ぐ。
「今日はツバキさんのお誕生日でしょう? なのに、お仕事をさせてしまうなんて。」
「ああ、それでですか。」
確かに、今日は俺の誕生日だ。でも、さして自分の誕生日に思い入れがあると言うわけでもないので、あまり気にも留めていなかった。休みだけどもカムイ様の暗夜行きに同行する事になった、と報告した時、サクラ様が『良い誕生日になりそうですね』とおっしゃってカザハナと共に笑っていらっしゃったのは覚えているが。
王城に来て主君や仲間達に祝ってもらえるようになって、誕生日というものは喜ばしいものなのだとようやく思えるようになった。だから、周りの人たちの分は完璧に祝ってきたものの・・・自分の分に関しては、やはり執着が薄くなってしまっている。祝ってもらえると嬉しいけれども、忘れられていた所で構わない。周りの幾人かはそれを信じられないと言っていたけれども、それが事実なのだから仕方がない。
「せめて、贈り物だけでもと思ったのですけれど・・・今日がお誕生日だと知ったのが、昨日私に同行して下さる旨を告げられた後だったので、何も用意出来ていなくて。」
「・・・そのお気持ちだけで十分ですよ。」
「いいえ、知った以上は何かお祝いをしたいです!」
普段の様子からは珍しいくらいに、カムイ様は張り切ってらっしゃるようだ。意気込む彼女の赤紅の瞳が、燃えるように輝いている。そんな熱の籠もった瞳が、俺の心の端の方にある希望を持たせた。しかし、思い上がりもはなはだしい事だと、首を振って慌てて否定する。
いきなりどうしたのかと不思議がるカムイ様に、気にないでくれと告げる。いぶかしりつつも了承して下さったカムイ様は、そのすぐ後に・・・いきなり俺の両手を包むようにしてぎゅっと掴んできた。
「・・・っ、どう、されました?」
予想外の出来事に驚いて、一瞬だけ、動揺を表に出してしまった。しかし、すぐに平常を装って彼女にその意図を尋ねた。
すると、カムイ様の瞳に宿る輝きが、より一層増した状態で真っ直ぐに向けられた。その透明な眩しさに、目どころか心まで眩みそうだ。
「何か私にしてほしい事はありませんか!?」
「え?」
「プレゼントをお渡しする代わりに、私がツバキさんのお願いを一つだけ叶えます! 私にできる事でしたら、何でも言って下さい!」
「俺の、願い・・・」
「はい!」
俺にそう告げたカムイ様は、期待に満ちた目で、純粋すぎる瞳で、俺が何か言うのをじっと待っている。それがありありと分かる彼女の様子に・・・泣きたいような、笑いたいような、苦しくなるような、心が浮き立つような、自分でもよくわからない形容しがたい感情が浮かんだ。
きっと、彼女の考えるお願いというのは、稽古を一緒にしようとか一緒に街に出かけてみようというような、友人や仲間なら普段からやっているような事柄なのだろう。俺が無理難題や酷い事を言うなんて露ほども考えていないだろうし、疑ってすらもいないのだろう。先ほど俺が期待してしまったような、そうなったらきっと夢心地でいられるような、叶ったなら生まれて初めてこの世に生きている事を感謝できるような、そんな望みを告げられるとは・・・きっと、微塵も考えていない、だろう。
「・・・では、お言葉に甘えて、ひとつお願いがございます。」
本当の願いは告げられないから。体の芯が疼いて、胸の奥がざわめいて、貴女の澄んだ笑顔に手を伸ばしたくなる。そんな衝動の元にある気持ちは、伝えられないから。それなら、せめて。
「ピアノの弾き方を教えて下さいませんか? 前に俺がサクラ様と一緒に琴を演奏したように、このピアノをカムイ様と一緒に弾いてみたいです。ピアノは大きいから、一台を二人で弾く事が出来るでしょうし。」
「っ、はい! 喜んで!」
目の前に広がる満開の笑みを、複雑な思いで眺めていた。
***
カムイ様の教え方は上手で、しばらく教えて頂いた後で何回か弾いてみると、右手だけは動かせるようになった。先ほど彼女が弾いていたような曲はまだまだ難しいが、ゆっくりとした速さで曲の主旋律を弾く位なら、すぐにやれと言われても出来そうだ。
「さすがです! ピアノもこんなに早く弾く事が出来るなんて、ツバキさんはすごいです!」
「カムイ様の教え方がうまいんですよー。」
「いえ、ツバキさんがすごいんですよ!」
「ははは・・・ありがとうございます。」
今日のカムイ様は、やたらと強気だ。しかし、褒められているので、押されていても悪い気は全くしない。
「・・・もうそろそろ、暗夜を出発しないと本当にまずいですね。」
弾いている最中にも、空を通して時間の様子を気にかけていたのだが、いよいよ本格的にまずそうだ。さすがにもう出ないと、相棒にいらぬ負担を強いる事になってしまう。
「・・・そう、ですね。」
カムイ様の声がいきなり沈んだので、気になって左の方を振り向いた。しかし、彼女は俯いているので、その表情までは確認できない。
「最後に、もう一度だけ二人で弾きませんか?」
「いいですよ。曲は先ほどのやつでいいですか?」
「はい。」
そう返事をしたカムイ様が、両手を構える。俺は、弾き易いように少しだけ彼女に近づいてから、右手を構えた。
♪♭A―♭E――♭E♭DCBB♭AG♭A――
先ほどから何度も演奏している、とあるワルツの主旋律を弾いていく。連弾の練習でよく使われる曲だというこの曲は、黒い鍵盤を弾く事が多いからか、少しだけ洒落たような雰囲気がする。
二人とも、無言で自分の担当部分を弾いていた。無言で、先ほどよりも少しだけゆっくりとした速さで弾いていく。
―――この時間が、いつまでも続けばいいのに―――
そんな事を考えながら、ゆっくりと旋律を奏でていった。
(完)
この話の時点ではともかく昔は楽器弾いてる余裕なんてなかったんじゃないの、とか兄弟姉妹の演奏しそうな楽器イメージは別だ、とかその他諸々は突っ込んではいけませぬ。
そして、二人が弾いているのはグランドピアノ、寄付されているであろうピアノはグランドだったりアップライトだったり。魔法で動くやつは電子ピアノ動力魔力タイプだと思っていただければ。連弾の曲は以前吉川が作った竜と花のワルツ(これ)を想定しております。ツバキさんの言うように洒落ていると思っていただけましたら吉川が天に昇ります←
明日明後日はお休みなのですが、また日曜から新人研修です。吉川にとっては、研修内容よりも研修を福岡で受けられない事の方が一番の悲しみであります←
それでは(どんなだ)追記から言ってみましょうー(・ω・)ノ
『君への気持ちをワルツに込めて』 作:吉川ひびき
い、ろ、は、に、ほ、へ、と。聞いた事のない音色が、聞いた事のある音程を紡ぐ。ぱらぱらと鳴っていた音程は、徐々に流れるような調べに変わった。
「・・・これは、カムイ様か。久しぶりに聞いたな。」
目の前の男が、そんな事を言い出した。相変わらずの腕前だ、シビレるぜ・・・何て言っているが、どういう事なのだろうか。
「これ、何かの楽器の音―?」
そう聞くと、十字の眼帯をつけた男・・・ゼロは、にやりと口角を上げた。
「ああ、そうだぜ。これは暗夜にある楽器の音だ。」
「どんな楽器?」
「レオン様は、ピアノとおっしゃっていたな。」
「・・・ピアノ。」
「そう、ピアノ。」
どこかで聞いた事のある名前だ。なので、どこで聞いただろうかと思って記憶を探っていると、以前エリーゼ様がおっしゃっていた事を思い出した。俺とサクラ様とで琴の演奏をした際に、自分の国には弦を叩く事で綺麗な音を鳴らす楽器があるのだと、嬉しそうに教えて下さったのだ。
この音がピアノの音なら、確かにとても美しい音色だ。エリーゼ様が自慢したくなったのも頷ける。
「ピアノって、どんな楽器なのー?」
「・・・見た目は真っ黒だな。そして艶々と妖しく光ってるんだが、そこから鳴るのはあんな感じの純粋で清純な音色だ。」
「純粋・・・確かに、綺麗な音だよね。」
そんな事を話していると、美しい調べが終わった。そして、間を置かずに別の調べが聞こえてくる。
「貴族の間じゃ、楽器の演奏は嗜みの一つらしいな。王族の方々も、何かしら演奏してたはずだが。」
「へぇ・・・だからカムイ様もピアノを演奏出来るのか。」
「カムイ様は色々出来るぜ。塔の近くを通った時、たまにピアノやらバイオリンやらの音が聞こえてきてたからな。」
「ふーん・・・。」
白夜でも、貴族や大商人等の富裕層に当たる人々が嗜みとして琴や舞などの歌舞音曲を習う事はあるが、それと似たような事は暗夜でもあったらしい。やっぱり、国が違えども考える事は変わらないのだろうか。
「・・・ほら、これは返す。こっちはこのまま預かってレオン様かマークス様に渡しておくから、お前も行ってきたらどうだ?」
「行くって、どこに?」
「とぼけるなよ。カムイ様の所にだよ・・・興味あるんだろ?」
「・・・そうだね。ピアノがどんなものか気になるし、もうそろそろ帰るために暗夜を出ないといけないし、迎えに行って来るよ。」
そう言ってゼロに背を向ける。興味があるのはピアノだけじゃないだろうに、という科白が聞こえた気がしたが、気付かないふりをした。
***
「綺麗な音ですね。」
音が途切れた瞬間をねらって、そう声をかけた。俺が入ってきた事には気づいていたのか、カムイ様は落ち着いてこちらを振り返る。
「綺麗ですよね。久しぶりに見たので、どうしても弾きたくなってしまって。」
もうじき出発なのにすみませんと謝るカムイ様を制し、その近くまで歩いていく。
「これがピアノですか。」
「そうです。これがピアノです。」
ピアノを撫でて嬉しそうに笑いながら、カムイ様が俺の言葉を繰り返す。その仕草から察するに、よほど再会が嬉しいのだろう。
「それにしても・・・こんなに大きな楽器だったのですね。」
目の前にあるピアノは、俺が両手を広げた長さよりも大きかった。そして、開いている蓋の中にはたくさんの弦が並んでいて、とても複雑な構造をしている。
「道理で、音が一階まで聞こえてきた訳だ。」
綺麗な音色をしていると言うので、てっきり小さい楽器、大きくても琴位かと思っていたのだ。加えて『繊細な音色』と聞いていたので、その言葉からは、この大きさはとても想像が出来なかった。
「この部屋まで運ぶのも大変だったと聞きました。でも、ここにあれば兄さんが仕事の合間に弾けるからと・・・。」
「マークス様のためにここに?」
「はい。兄さん、一通り楽器は弾けるようですが・・・ピアノが一番好きなのだとおっしゃっていました。」
先ほどよりも少し大人びた笑みを浮かべるカムイ様。その瞳には、過去を懐かしんでいるかのような感情が見てとれる。
「・・・カムイ様は、マークス様にピアノの奏法を習ったのですか?」
何となくそんな予感がして、ふっとそれを言葉にしてしまった。王族の方々に対して不躾に質問をしてしまって失礼だったろうかと思ったが、気にならなかったのかカムイ様は笑顔で答えて下さった。
「そうなんです。塔から出られない私を気遣って、兄さんを始めとした暗夜の兄弟姉妹たちは色々な楽器の奏法を教えてくれました。」
楽器の演奏なら塔から出られなくても出来ますからね、と呟くカムイ様。自由に演奏できるようになるには時間をかけて練習する必要があるから、楽器の練習を始めてからは退屈な時間はすっかりなくなったと笑っている。
「それでも・・・ピアノを塔に運ぶのはさすがに大変だったようです。ハープの時もだったかな?」
「ハープ?」
耳慣れない楽器の名前が出てきたので、思わず聞き返してしまった。
「ピアノみたいに弦を使って作られている楽器です。そうですね・・・こちらは弦をはじいて音を出しますし、演奏する原理は琴に近いです。違うのは大きさと形かな。縦長で、椅子に座って弾くんですが・・・琴みたいに長方形みたいな形でなくて、ピアノみたいに三角形をしているんですよ。」
「・・・そちらも、マークス様が?」
「いいえ、こちらはカミラ姉さんです。皆それぞれ得意な楽器が違ったので。」
「そうなんですか。ちなみに、皆さまどんな楽器を?」
「マークス兄さんがピアノ、カミラ姉さんはハープ、レオンさんはビオラ、エリーゼさんはバイオリンでした。五人そろった時は合奏もしていましたよ。こうしてみると・・・どれも弦楽器だと言うのは共通していますね。」
「そうですね。音を出すのが簡単ですし、音色も安定していますからね。」
「はい。管楽器だと、種類によっては音を出すだけで一苦労という楽器もありますからね・・・。何か楽器を始めてみよう、と思う方にはぴったりだと思います。」
ぽろんぽろんと音を奏でながら、嬉しそうに熱弁するカムイ様。正直、始めようと思っても楽器を用意する事自体が難しいのではと思うが、その後に続けられたピアノの種類の話を聞いて納得した。
小さめのピアノや魔法で動くピアノは安価で作れるから、中流階級位の人なら自前で用意し、練習を始める事が簡単なのだそうだ。また、戦後の復興の一環として、町に楽器を寄付したりもしているらしい。寄付した分の楽器は誰でも使えるから、市井の人々が楽器に触れる機会は多くなっているはずだ、との事だった。
「いつか、階級は関係なくその才能を開花させる人が現れたら・・・これに勝る喜びはありません。」
『芸術を布教し根付かせる事は、国力が豊かで平和な国になる事につながってくれるはずだ』という彼女の意見に、その通りだと返事をした。
***
「そういえば、私ツバキさんに謝らないといけないんです。」
ピアノを弾く手を止め、カムイ様がくるりとこちらを振り向いた。彼女は申し訳なさそうに眉を寄せるが、思い当ることがまるでない。
「何をですか? カムイ様が詫びるような事など、何一つないと思うのですが・・・」
不思議に思ってそう返すと、彼女の首がふるふると左右に振れた。じっとこちらを見つめられて、耳が熱くなって来るとともに鼓動が速まり強くなっていくのを感じる。
「ツバキさんは今日お休みでしたのに、わざわざ暗夜行きに付き合わせてしまいました。だから、申し訳ないなって思って。すみませんでした。」
「・・・あぁ、気にしないでください。俺の方から志願したんですし。」
「いいえ、他ならぬ今日、というのが余計に申し訳なくて・・・」
「今日だから?」
今日はそんなに特別な日だったろうかと考えて、そして・・・そういえば、と、とある事に思い当った。それと同時に、彼女のふっくらとした唇が言葉を紡ぐ。
「今日はツバキさんのお誕生日でしょう? なのに、お仕事をさせてしまうなんて。」
「ああ、それでですか。」
確かに、今日は俺の誕生日だ。でも、さして自分の誕生日に思い入れがあると言うわけでもないので、あまり気にも留めていなかった。休みだけどもカムイ様の暗夜行きに同行する事になった、と報告した時、サクラ様が『良い誕生日になりそうですね』とおっしゃってカザハナと共に笑っていらっしゃったのは覚えているが。
王城に来て主君や仲間達に祝ってもらえるようになって、誕生日というものは喜ばしいものなのだとようやく思えるようになった。だから、周りの人たちの分は完璧に祝ってきたものの・・・自分の分に関しては、やはり執着が薄くなってしまっている。祝ってもらえると嬉しいけれども、忘れられていた所で構わない。周りの幾人かはそれを信じられないと言っていたけれども、それが事実なのだから仕方がない。
「せめて、贈り物だけでもと思ったのですけれど・・・今日がお誕生日だと知ったのが、昨日私に同行して下さる旨を告げられた後だったので、何も用意出来ていなくて。」
「・・・そのお気持ちだけで十分ですよ。」
「いいえ、知った以上は何かお祝いをしたいです!」
普段の様子からは珍しいくらいに、カムイ様は張り切ってらっしゃるようだ。意気込む彼女の赤紅の瞳が、燃えるように輝いている。そんな熱の籠もった瞳が、俺の心の端の方にある希望を持たせた。しかし、思い上がりもはなはだしい事だと、首を振って慌てて否定する。
いきなりどうしたのかと不思議がるカムイ様に、気にないでくれと告げる。いぶかしりつつも了承して下さったカムイ様は、そのすぐ後に・・・いきなり俺の両手を包むようにしてぎゅっと掴んできた。
「・・・っ、どう、されました?」
予想外の出来事に驚いて、一瞬だけ、動揺を表に出してしまった。しかし、すぐに平常を装って彼女にその意図を尋ねた。
すると、カムイ様の瞳に宿る輝きが、より一層増した状態で真っ直ぐに向けられた。その透明な眩しさに、目どころか心まで眩みそうだ。
「何か私にしてほしい事はありませんか!?」
「え?」
「プレゼントをお渡しする代わりに、私がツバキさんのお願いを一つだけ叶えます! 私にできる事でしたら、何でも言って下さい!」
「俺の、願い・・・」
「はい!」
俺にそう告げたカムイ様は、期待に満ちた目で、純粋すぎる瞳で、俺が何か言うのをじっと待っている。それがありありと分かる彼女の様子に・・・泣きたいような、笑いたいような、苦しくなるような、心が浮き立つような、自分でもよくわからない形容しがたい感情が浮かんだ。
きっと、彼女の考えるお願いというのは、稽古を一緒にしようとか一緒に街に出かけてみようというような、友人や仲間なら普段からやっているような事柄なのだろう。俺が無理難題や酷い事を言うなんて露ほども考えていないだろうし、疑ってすらもいないのだろう。先ほど俺が期待してしまったような、そうなったらきっと夢心地でいられるような、叶ったなら生まれて初めてこの世に生きている事を感謝できるような、そんな望みを告げられるとは・・・きっと、微塵も考えていない、だろう。
「・・・では、お言葉に甘えて、ひとつお願いがございます。」
本当の願いは告げられないから。体の芯が疼いて、胸の奥がざわめいて、貴女の澄んだ笑顔に手を伸ばしたくなる。そんな衝動の元にある気持ちは、伝えられないから。それなら、せめて。
「ピアノの弾き方を教えて下さいませんか? 前に俺がサクラ様と一緒に琴を演奏したように、このピアノをカムイ様と一緒に弾いてみたいです。ピアノは大きいから、一台を二人で弾く事が出来るでしょうし。」
「っ、はい! 喜んで!」
目の前に広がる満開の笑みを、複雑な思いで眺めていた。
***
カムイ様の教え方は上手で、しばらく教えて頂いた後で何回か弾いてみると、右手だけは動かせるようになった。先ほど彼女が弾いていたような曲はまだまだ難しいが、ゆっくりとした速さで曲の主旋律を弾く位なら、すぐにやれと言われても出来そうだ。
「さすがです! ピアノもこんなに早く弾く事が出来るなんて、ツバキさんはすごいです!」
「カムイ様の教え方がうまいんですよー。」
「いえ、ツバキさんがすごいんですよ!」
「ははは・・・ありがとうございます。」
今日のカムイ様は、やたらと強気だ。しかし、褒められているので、押されていても悪い気は全くしない。
「・・・もうそろそろ、暗夜を出発しないと本当にまずいですね。」
弾いている最中にも、空を通して時間の様子を気にかけていたのだが、いよいよ本格的にまずそうだ。さすがにもう出ないと、相棒にいらぬ負担を強いる事になってしまう。
「・・・そう、ですね。」
カムイ様の声がいきなり沈んだので、気になって左の方を振り向いた。しかし、彼女は俯いているので、その表情までは確認できない。
「最後に、もう一度だけ二人で弾きませんか?」
「いいですよ。曲は先ほどのやつでいいですか?」
「はい。」
そう返事をしたカムイ様が、両手を構える。俺は、弾き易いように少しだけ彼女に近づいてから、右手を構えた。
♪♭A―♭E――♭E♭DCBB♭AG♭A――
先ほどから何度も演奏している、とあるワルツの主旋律を弾いていく。連弾の練習でよく使われる曲だというこの曲は、黒い鍵盤を弾く事が多いからか、少しだけ洒落たような雰囲気がする。
二人とも、無言で自分の担当部分を弾いていた。無言で、先ほどよりも少しだけゆっくりとした速さで弾いていく。
―――この時間が、いつまでも続けばいいのに―――
そんな事を考えながら、ゆっくりと旋律を奏でていった。
(完)