海賊将校と運命の花嫁(22)
- 2018/03/23
- 02:45
こんばばばちは吉川でする(・ω・)ミー
これにて四章終了でする! 一気に更新頻度が下がった中、未だ追ってくださっている読者の皆様に感謝ですりゃ!!!∩(//・ω・//)∩
第五章始動は未定でする……大まかなトリックと言うのかオチは考えてるんですけど、細かいところまで考えてつじつま合わせや齟齬がないようにしないといけないので……|ω・`)
きっかわばんがるので、気長にお待ちくださいませ|ω・)
ではでは、追記からどぞーう∩(・ω・)∩ミッミッ
『海賊将校と運命の花嫁』 作:吉川ひびき
第4章 これからも共にいるために
「これと、これと……そうだわ、こちらにも隠しておいたはず……」
グラス様が入浴されている間に、彼に気づかれないように隠しておいた覚え書きや資料をかき集めた。そして、今日見た男の瞳の特徴やそこから考えられる仮説を、全て書き加えていく。
改めて書き出した情報と、これまでの情報と見解。そこから導き出される結論は、やはり疑いようのないものだった。
「やっぱり、侯爵は……。だから、ラミカが、グラン様が」
「父上がなんだって?」
「きゃあああああ!」
驚いて後ろを振り向くと、そこには濡れた髪を緩く縛ったお風呂上がりのグラス様がいらっしゃった。そして、わたくしの手の先の方を見て、紙? と首をひねっている。
「何だ、それ?」
怪訝そうなグラス様。今までわたくしは隠し事をしたことがなかったから、初めて見るこの書類たちに不信感を覚えてしまったのだろうか。
「ええと、その、これは……」
手早く書類をひとまとめにし、後ろ手に隠す。黙ったまま上目遣いで見つめると、グラス様は大きなため息をついた。
「見た以上、無かったことにはできないな」
その言葉に、ひやりと汗が伝う。もう伝えようとは思っていたものの、どう伝えるべきか考えあぐねていたので、今問いただされるのは困るのだ。
「もう一度問おうか。それは、何だ?」
切れ長の瞳を少しだけ細めて、グラス様が問いかけた。その表情は、妻を見る時の甘やかなものではなくて、従えている船員を見るときの厳かなそれだ。この表情の時のグラス様に、妻として甘えながら猶予を願っても無駄だろう。
(ならば、今の状況を正直に伝えるしかない)
まだ詳しくは話せないけれど、あなたを裏切るような事ではないと。きちんと筋道立てて話せるように、少しだけ猶予が欲しいと。話せば、分かってくれるはず。
真正面にいる彼の顔を見上げながら、ゆっくりと近づいた。少しだけじっと見つめた後で、口を開く。
「……これは、わたくしがずっと調べ続けている事件についてまとめた書類です。海軍大将名代という権限で見られる書類の写しや、見聞きしたことの覚え書き、メモを書き加えた地図が中心ですの」
「それは、この船に乗り始めてから集めたものか?」
硬い表情のまま、グラス様が尋ねる。この船に乗って、この人と共に歩むようになって、初めて目の前の彼を『怖い』と思った。
「半々です。もともと持っていた書類を思い出して書き出したものもありますから」
「その書類が海軍に渡った場合、この一味はどうなる?」
「どうもならないと思います。この書類の中には、レッド一味の名は一切出て来ません」
間違った事は言っていない。この事件に関わっているのは、レッド一味ではなくてレッドリア子爵家だ。子爵家と一味の関係を知っている者は、ここにいる彼と船員だけ。ならば、海賊として捕まるとかそういう事にはならないはずだ。
「俺が、今それを見せろと、船員が船長に隠し事をしてはならないから差し出して内容を把握させろと命令したら、従うか?」
暗い光を湛えた目で、冷たい声音で、グラス様がそう迫る。耳元に温かい吐息が触れたのに、私の心は強張ったままだった。
「今……この場では、従えませんわ。たとえ、船長の命令でも」
「……ほぅ?」
くくっと口の端を引き上げて、グラス様が見下したように嗤う。その眼の鋭さに負けまいと、こちらも口を引き結んで睨み上げた。
「……なら、力づくで従わせてみようか」
冷酷に、宣戦布告のように、グラス様が語り掛ける。そして、少しでも動けば互いが触れる、そんな至近距離に彼の顔がやってきた。
「出来るものなら、やってごらんなさいな」
睨む目元はそのままに、覚悟を乗せた言葉を告げる。覇気を込めた言葉は、発した本人が感じる恐怖すらも打ち消す強さを、耳にした者に与えてくれた。
「わたくしは海軍に連なるもの。海賊の脅しに、屈したりしません」
今のこのやり取りで自分が相手にしているのは、愛する夫ではなく幾多の荒波を乗り越えてきた海賊船の船長だ。妻のままでは、その気迫に飲まれて自分を見失ってしまう。
でも、それではいけないのだ。今自分が抱えている事情は、きちんと筋道立ててお話ししないといけない、最重要事項。彼に押されてたどたどしく告げてしまったら、きっと齟齬が起きてしまう。そうなったら、終わりだ。
「……まだ、海軍のつもりであったか」
呆れているような、試しているような表情で、グラス様が返答する。それに、ええ、と首肯しながら続きを告げた。
「その通りです。わたくしは、グラス=レッドと名乗るお方の妻であると同時に、公爵家次女であり、海軍大将の娘であり、海軍大将名代を任されている海軍少尉です。その事実は、わたくしがどこにいようと、何をしていようと、変わるものではありません」
それが本心だ。私の夫は海賊船の船長で、私はその船長の側で彼を助けていて。現在は海賊船に乗っているけれど、私の行動理念は、信念は、父の補佐をすると決めた時に誓った海軍のそれのままだ。自分の行動は、全て軍の意志に背いているものではないと、軍を裏切ったものではないと、自信をもって断言できる。
「あなたが妻にした女の根底には、公爵令嬢であるという矜持と、国の発展と平和を願う海軍兵であるという矜持があります。それがあって初めて、私は『ルカリア=デューク=コーンフィールド』であり、あなたの妻なのです」
自分の中では一本筋が通った考えだけれど、彼の目にはどう見えたのだろう。わたくしの話した内容は、きちんと思う通りに彼の耳に入っただろうか。
なおも彼から視線を外さずにいると、おもむろに彼がわたくしから顔と体を離した。そして、天井を仰いで大きなため息をつく。
「……いつになったら、話せそうだ?」
その言葉にはっとして、思わず彼に一歩近づいた。すると彼は、そんなわたくしの肩に素早い動きで腕を回し、ぎゅっと抱き竦めて下さった。
「言ってただろう、今はまだ話せないと。そんな言い方をしたという事は、いずれは話す心づもりがあるってことだ」
ぐりぐりと額同士を押し付けながら、グラス様が言葉を並べていく。愛しい旦那様は、わたくしの言葉をきちんと聞いて下さっていて、覚えていてくださったようだ。
「数日もいらないと思いますわ。もともと話すつもりで、どう話すべきかを考えるためにこの書面を出したのですもの」
「そうか。それなら、伝え方を考えておいてくれ」
「ええ! 猶予を下さってありがとうございます、船長」
そう言うと、彼はぴたりと動きを止めた。ぱちぱち、と目を瞬かせている様子が可愛らしいが、一体どうしたというのだろう。
「……まぁ、確かに船長……船長だな」
「わたくし、何かおかしな事言いまして?」
「いや、何も。何もおかしくはない」
「そうですわよね……?」
「あぁ、そうだ。おかしくはないが、普段は呼ばれないから、お前にそう呼ばれるのは慣れないなと思ってな」
グラス様がそう言って、眉根を寄せながら笑う。照れているように見えるその表情も可愛らしくて、つい声に出して言いそうになってしまった。
「……では、こうお呼び致しましょうか」
そう言って、彼の背に腕を回す。背伸びして彼の顔を覗き込み、その耳元で囁いた。
「……愛しい愛しい、旦那様」
***
蜜のような日々を過ごした。互いに一目惚れし、想いを伝えあって、おとぎ話のような恋をした。彼の隣にいられることが嬉しくて、彼もそれを望んでくれたことが嬉しくて。何度も、何度も、彼の事を愛していると、心から思った。
だからこそ。幸せだからこそ、私たちは前に進まなくてはいけない。彼の悲願を達成するために。私たちの時間を、あの時止まってしまった時間を、もう一度進めるために。
「今は、またとない機会。彼がこちら側にいれば、真相究明も可能なはず。でも、その為には……」
彼と出会った事で、彼と共にいた事で、知り得た事実。それらと、自分やコーンフィールド家が持つ情報や海軍の力を使えば、彼と私の目的は達成出来るはずだ。
「……ごめんなさい、グラス様。お傍にいるって言ったのに」
胸の前で手を組み、祈るように目を閉じる。頬が冷たい感じがするのは、きっと、今の生活が楽しく幸福に満ちていたものだからだろう。
「でも、私たちが元の関係に戻るためには、立ち止まっていてはいけない。たとえ、この先に……どんなに困難で、厳しい道が待っているのだとしても」
覚悟を決めろ。海軍の一兵として誓いを立てた、あの時の気持ちを思い出せ。海軍大将名代、海軍少尉の矜持を見せろ。
……たとえ、彼と離れ離れになってしまうのだとしても。
***
「グラス様。この後お時間を頂けますか?」
夕食後、見張りに出ているグラス様にそう願い出た。こちらを振り返ったグラス様の長い髪が、潮風に煽られて綺麗に舞う。
「……準備が、出来たのか」
「はい。わたくしが知っている事、追っている犯人。知っておいて欲しい事と、知っておいて頂く必要がある事。そして……あなたが望む事を、全てお話致します」
機は熟した。今から、十年前の凄惨な事件に終止符を打つために、反撃を開始する。
「なら、俺の書斎に行こう。もう交代の時間だから」
「はい」
私の横をすり抜け歩いていく、グラス様の背中を追い隣に並ぶ。しばらく見られなくなるその横顔を、覚えておくためにじっと見つめた。
***
「お話する前に確認しておきたいことがございますの。よろしいですか?」
「何だ?」
座るように促されたが、いったんそれを制してそう尋ねた。答えが何であれ話すつもりではいたが、内容によっては言葉を変えないといけないかもしれないからだ。
「今のあなたは、レッド一味の船長グラス=レッド様です。そして、十年前までは、レッドリア子爵家嫡男のグラスウェル=ヴァイカウント=レッドリア様でしたね?」
「その通りだ。俺は、レッドリア子爵家最後の子爵、グランデューク=ヴァイカウント=レッドリアと、その最初の妻である伯爵家の御令嬢との間に生まれた、次期子爵となる予定の息子だった」
レッドリア子爵家の当時の子爵、グラン様の第一子で嫡男。それが、本来の彼の身分だ。何事もなければ、そのまま成長して父と同じように海軍に入隊し、おそらく大尉や少佐辺りにはなっていただろう。そして、私たちは既に結婚していたかもしれない。
「率直に訊きます。戻りたいですか?」
元の身分に戻りたいか、否か。返答次第では、わたくしも公爵家令嬢という立場を捨てる必要がある。公爵家の次女という身分は、今までの自分を形作ってきた一つの概念。それを失ってしまうのは、正直に言えば悲しいし、怖い。でも、そうすれば彼の側にいられるというのなら、きっと自分は迷わないだろう。
「……何、に」
警戒するように、グラス様が声を絞り出した。でも、きっと、本当は何なのか分かっていらっしゃるのだろう。分かってはいるけれど、今まで遠い場所にあったものだから、はっきりとした言葉で確認したい。そんなところだろうか。
「グラスウェル=ヴァイカウント=レッドリア、に。元の貴族に、子爵家嫡男に、戻りたいですか?」
ぴしり、と。いつぞやのように、二人の間に緊張が走る。次にグラス様が口を開くまで、お互いに相手から目を離さずにいた。
「……俺、は」
グラス様が、静かに口を開いた。紡がれようとする言葉を聞き逃すまいと、固唾を飲んで彼を見守る。
「戻れるものなら、俺はその立場に戻りたい」
はっきりと、彼はそう答えた。こちらに向けられる薄群青の瞳はどこまでも真っ直ぐで、どこまでも美しかった。
「俺が子爵家の立場を取り戻せたという事は、両親の濡れ衣が晴れたという事になる。そして、真犯人が断罪されたという事でもある」
「……ええ、そうでしょうね」
疑われていたけれど状況的に犯人ではなさそうだ、だから元の特権階級に戻ります……だけでは、いつか必ず足元を掬われる事になるだろう。きちんと真犯人を見つけて罰しなければ、誰の目にも明らかに潔白だったと証明しなければ、あの手この手で陥れようとする輩はいくらでも出てくる。他人を卑劣な手で陥れてでも自分が優位に立ちたい。富を、土地を手に入れたい。そんな欲望が渦巻く混沌とした世界が、自分たち貴族の戦場なのだ。
「俺が海賊団を立ち上げたのは、両親の嫌疑を晴らし真犯人を断罪するため。尊敬していた二人の汚名を返上して、もう一度レッドリア家を復興し、かつての生活と手に入れるはずだったものを取り戻すためだ」
とつとつと、グラス様が語っていく。ランプの光が揺れて、彼の美貌を怪しく照らした。
「それに、今の俺にはお前がいる。公爵家次女で海軍に連なる女性を正式に妻にするのであれば、元の肩書があった方が何かと助かるだろう。俺たちは本来婚約者同士で、結婚する未来が取り決められていた、と言うのならば尚更な」
「……グラス様」
彼が描いたその後に、自分との関係も含まれていた。約束を違えるお方ではないと信じていたけれど、改めて言葉として聞くと……それは、とても嬉しいものだった。
「わたくしは、たとえあなたがこのまま船の上を選んでいたとしても、ついていくおつもりでした。そのためならば、自分自身を作っている概念の一つである『公爵家令嬢』と『海軍大将名代を任じられた海軍少尉』という立場を、失ってもいいと思っていたのです」
立場を失ったとしても、矜持を捨てる必要はない。だから、いざとなればその立場を無に帰す事になってもいいと思っていたが……出来る事なら、まだ人にそう思われていたかった。
「お前に、俺と同じ所まで堕ちる事を求めるつもりはない。もちろん、それだけの覚悟をしてくれていたのだ、という気持ちは嬉しいがな」
「……道連れにするのは、従者だけ?」
「背景を考慮しなければ、夫と妻は対等だからな。従者と言うのは文字通り主に追従するものだという認識でいるが、妻は対等なのだから無理に追従させる必要ないだろう。妻本人がついていくと言った場合は、遠慮なく連れていくが」
「そう、ですの。妻は……わたくしの事は、自分と対等だと思って下さっているのね」
不遜な言い回しかと思ったが、彼はそれを指摘する事なく頷いてくれた。そして、一歩近づくと、わたくしの肩に手を乗せて、じっと瞳を捉えてきた。
「そうだ。前から、いずれ迎えるだろう妻に、俺は……ついて来いというのではなく、俺の隣で、同じ目線で生きようと伝えるつもりだった。そう言って、二人肩を並べて生きていきたいとな。お前となら、そんな生き方が出来ると信じている。ルカリアは、俺には十分すぎるくらいの、自慢の妻だ」
不意に、全身に熱が巡り、自分の目尻から涙が流れ落ちていった。未だ男尊女卑の風潮が蔓延るようなこの国で、妻と肩を並べて歩いていきたいと言ってくれる人が、その人が自分を妻としてくれたのだという事が、震える程に嬉しかった。
「それならば、グラス様」
「ああ」
「私たちの、正当な未来を。取り戻しに行きましょう」
「ああ」
「たとえそれが、困難な道なのだとしても。どんなに厳しい事が待っていようとも」
「ああ。俺たち二人ならば、必ず成し遂げられる」
そう言って真剣な眼差しになって微笑んだ、そんな愛しい彼の表情を。わたくしは生涯忘れないだろう。
「それならば、グラス様」
「何だ?」
いつもと変わらぬ、優しさと愛しさを秘めた薄群青の瞳。反撃のための提案を聞いても、その輝きは濁らないだろうか。
「……わたくしを、この船から降ろして下さい」
グラス様の動きが止まった。肩に添えられている手に、ぐっと力が籠められる。
「わたくしをこの船から降ろして、お父様の元に帰して下さい」
(続)
これにて四章終了でする! 一気に更新頻度が下がった中、未だ追ってくださっている読者の皆様に感謝ですりゃ!!!∩(//・ω・//)∩
第五章始動は未定でする……大まかなトリックと言うのかオチは考えてるんですけど、細かいところまで考えてつじつま合わせや齟齬がないようにしないといけないので……|ω・`)
きっかわばんがるので、気長にお待ちくださいませ|ω・)
ではでは、追記からどぞーう∩(・ω・)∩ミッミッ
『海賊将校と運命の花嫁』 作:吉川ひびき
第4章 これからも共にいるために
「これと、これと……そうだわ、こちらにも隠しておいたはず……」
グラス様が入浴されている間に、彼に気づかれないように隠しておいた覚え書きや資料をかき集めた。そして、今日見た男の瞳の特徴やそこから考えられる仮説を、全て書き加えていく。
改めて書き出した情報と、これまでの情報と見解。そこから導き出される結論は、やはり疑いようのないものだった。
「やっぱり、侯爵は……。だから、ラミカが、グラン様が」
「父上がなんだって?」
「きゃあああああ!」
驚いて後ろを振り向くと、そこには濡れた髪を緩く縛ったお風呂上がりのグラス様がいらっしゃった。そして、わたくしの手の先の方を見て、紙? と首をひねっている。
「何だ、それ?」
怪訝そうなグラス様。今までわたくしは隠し事をしたことがなかったから、初めて見るこの書類たちに不信感を覚えてしまったのだろうか。
「ええと、その、これは……」
手早く書類をひとまとめにし、後ろ手に隠す。黙ったまま上目遣いで見つめると、グラス様は大きなため息をついた。
「見た以上、無かったことにはできないな」
その言葉に、ひやりと汗が伝う。もう伝えようとは思っていたものの、どう伝えるべきか考えあぐねていたので、今問いただされるのは困るのだ。
「もう一度問おうか。それは、何だ?」
切れ長の瞳を少しだけ細めて、グラス様が問いかけた。その表情は、妻を見る時の甘やかなものではなくて、従えている船員を見るときの厳かなそれだ。この表情の時のグラス様に、妻として甘えながら猶予を願っても無駄だろう。
(ならば、今の状況を正直に伝えるしかない)
まだ詳しくは話せないけれど、あなたを裏切るような事ではないと。きちんと筋道立てて話せるように、少しだけ猶予が欲しいと。話せば、分かってくれるはず。
真正面にいる彼の顔を見上げながら、ゆっくりと近づいた。少しだけじっと見つめた後で、口を開く。
「……これは、わたくしがずっと調べ続けている事件についてまとめた書類です。海軍大将名代という権限で見られる書類の写しや、見聞きしたことの覚え書き、メモを書き加えた地図が中心ですの」
「それは、この船に乗り始めてから集めたものか?」
硬い表情のまま、グラス様が尋ねる。この船に乗って、この人と共に歩むようになって、初めて目の前の彼を『怖い』と思った。
「半々です。もともと持っていた書類を思い出して書き出したものもありますから」
「その書類が海軍に渡った場合、この一味はどうなる?」
「どうもならないと思います。この書類の中には、レッド一味の名は一切出て来ません」
間違った事は言っていない。この事件に関わっているのは、レッド一味ではなくてレッドリア子爵家だ。子爵家と一味の関係を知っている者は、ここにいる彼と船員だけ。ならば、海賊として捕まるとかそういう事にはならないはずだ。
「俺が、今それを見せろと、船員が船長に隠し事をしてはならないから差し出して内容を把握させろと命令したら、従うか?」
暗い光を湛えた目で、冷たい声音で、グラス様がそう迫る。耳元に温かい吐息が触れたのに、私の心は強張ったままだった。
「今……この場では、従えませんわ。たとえ、船長の命令でも」
「……ほぅ?」
くくっと口の端を引き上げて、グラス様が見下したように嗤う。その眼の鋭さに負けまいと、こちらも口を引き結んで睨み上げた。
「……なら、力づくで従わせてみようか」
冷酷に、宣戦布告のように、グラス様が語り掛ける。そして、少しでも動けば互いが触れる、そんな至近距離に彼の顔がやってきた。
「出来るものなら、やってごらんなさいな」
睨む目元はそのままに、覚悟を乗せた言葉を告げる。覇気を込めた言葉は、発した本人が感じる恐怖すらも打ち消す強さを、耳にした者に与えてくれた。
「わたくしは海軍に連なるもの。海賊の脅しに、屈したりしません」
今のこのやり取りで自分が相手にしているのは、愛する夫ではなく幾多の荒波を乗り越えてきた海賊船の船長だ。妻のままでは、その気迫に飲まれて自分を見失ってしまう。
でも、それではいけないのだ。今自分が抱えている事情は、きちんと筋道立ててお話ししないといけない、最重要事項。彼に押されてたどたどしく告げてしまったら、きっと齟齬が起きてしまう。そうなったら、終わりだ。
「……まだ、海軍のつもりであったか」
呆れているような、試しているような表情で、グラス様が返答する。それに、ええ、と首肯しながら続きを告げた。
「その通りです。わたくしは、グラス=レッドと名乗るお方の妻であると同時に、公爵家次女であり、海軍大将の娘であり、海軍大将名代を任されている海軍少尉です。その事実は、わたくしがどこにいようと、何をしていようと、変わるものではありません」
それが本心だ。私の夫は海賊船の船長で、私はその船長の側で彼を助けていて。現在は海賊船に乗っているけれど、私の行動理念は、信念は、父の補佐をすると決めた時に誓った海軍のそれのままだ。自分の行動は、全て軍の意志に背いているものではないと、軍を裏切ったものではないと、自信をもって断言できる。
「あなたが妻にした女の根底には、公爵令嬢であるという矜持と、国の発展と平和を願う海軍兵であるという矜持があります。それがあって初めて、私は『ルカリア=デューク=コーンフィールド』であり、あなたの妻なのです」
自分の中では一本筋が通った考えだけれど、彼の目にはどう見えたのだろう。わたくしの話した内容は、きちんと思う通りに彼の耳に入っただろうか。
なおも彼から視線を外さずにいると、おもむろに彼がわたくしから顔と体を離した。そして、天井を仰いで大きなため息をつく。
「……いつになったら、話せそうだ?」
その言葉にはっとして、思わず彼に一歩近づいた。すると彼は、そんなわたくしの肩に素早い動きで腕を回し、ぎゅっと抱き竦めて下さった。
「言ってただろう、今はまだ話せないと。そんな言い方をしたという事は、いずれは話す心づもりがあるってことだ」
ぐりぐりと額同士を押し付けながら、グラス様が言葉を並べていく。愛しい旦那様は、わたくしの言葉をきちんと聞いて下さっていて、覚えていてくださったようだ。
「数日もいらないと思いますわ。もともと話すつもりで、どう話すべきかを考えるためにこの書面を出したのですもの」
「そうか。それなら、伝え方を考えておいてくれ」
「ええ! 猶予を下さってありがとうございます、船長」
そう言うと、彼はぴたりと動きを止めた。ぱちぱち、と目を瞬かせている様子が可愛らしいが、一体どうしたというのだろう。
「……まぁ、確かに船長……船長だな」
「わたくし、何かおかしな事言いまして?」
「いや、何も。何もおかしくはない」
「そうですわよね……?」
「あぁ、そうだ。おかしくはないが、普段は呼ばれないから、お前にそう呼ばれるのは慣れないなと思ってな」
グラス様がそう言って、眉根を寄せながら笑う。照れているように見えるその表情も可愛らしくて、つい声に出して言いそうになってしまった。
「……では、こうお呼び致しましょうか」
そう言って、彼の背に腕を回す。背伸びして彼の顔を覗き込み、その耳元で囁いた。
「……愛しい愛しい、旦那様」
***
蜜のような日々を過ごした。互いに一目惚れし、想いを伝えあって、おとぎ話のような恋をした。彼の隣にいられることが嬉しくて、彼もそれを望んでくれたことが嬉しくて。何度も、何度も、彼の事を愛していると、心から思った。
だからこそ。幸せだからこそ、私たちは前に進まなくてはいけない。彼の悲願を達成するために。私たちの時間を、あの時止まってしまった時間を、もう一度進めるために。
「今は、またとない機会。彼がこちら側にいれば、真相究明も可能なはず。でも、その為には……」
彼と出会った事で、彼と共にいた事で、知り得た事実。それらと、自分やコーンフィールド家が持つ情報や海軍の力を使えば、彼と私の目的は達成出来るはずだ。
「……ごめんなさい、グラス様。お傍にいるって言ったのに」
胸の前で手を組み、祈るように目を閉じる。頬が冷たい感じがするのは、きっと、今の生活が楽しく幸福に満ちていたものだからだろう。
「でも、私たちが元の関係に戻るためには、立ち止まっていてはいけない。たとえ、この先に……どんなに困難で、厳しい道が待っているのだとしても」
覚悟を決めろ。海軍の一兵として誓いを立てた、あの時の気持ちを思い出せ。海軍大将名代、海軍少尉の矜持を見せろ。
……たとえ、彼と離れ離れになってしまうのだとしても。
***
「グラス様。この後お時間を頂けますか?」
夕食後、見張りに出ているグラス様にそう願い出た。こちらを振り返ったグラス様の長い髪が、潮風に煽られて綺麗に舞う。
「……準備が、出来たのか」
「はい。わたくしが知っている事、追っている犯人。知っておいて欲しい事と、知っておいて頂く必要がある事。そして……あなたが望む事を、全てお話致します」
機は熟した。今から、十年前の凄惨な事件に終止符を打つために、反撃を開始する。
「なら、俺の書斎に行こう。もう交代の時間だから」
「はい」
私の横をすり抜け歩いていく、グラス様の背中を追い隣に並ぶ。しばらく見られなくなるその横顔を、覚えておくためにじっと見つめた。
***
「お話する前に確認しておきたいことがございますの。よろしいですか?」
「何だ?」
座るように促されたが、いったんそれを制してそう尋ねた。答えが何であれ話すつもりではいたが、内容によっては言葉を変えないといけないかもしれないからだ。
「今のあなたは、レッド一味の船長グラス=レッド様です。そして、十年前までは、レッドリア子爵家嫡男のグラスウェル=ヴァイカウント=レッドリア様でしたね?」
「その通りだ。俺は、レッドリア子爵家最後の子爵、グランデューク=ヴァイカウント=レッドリアと、その最初の妻である伯爵家の御令嬢との間に生まれた、次期子爵となる予定の息子だった」
レッドリア子爵家の当時の子爵、グラン様の第一子で嫡男。それが、本来の彼の身分だ。何事もなければ、そのまま成長して父と同じように海軍に入隊し、おそらく大尉や少佐辺りにはなっていただろう。そして、私たちは既に結婚していたかもしれない。
「率直に訊きます。戻りたいですか?」
元の身分に戻りたいか、否か。返答次第では、わたくしも公爵家令嬢という立場を捨てる必要がある。公爵家の次女という身分は、今までの自分を形作ってきた一つの概念。それを失ってしまうのは、正直に言えば悲しいし、怖い。でも、そうすれば彼の側にいられるというのなら、きっと自分は迷わないだろう。
「……何、に」
警戒するように、グラス様が声を絞り出した。でも、きっと、本当は何なのか分かっていらっしゃるのだろう。分かってはいるけれど、今まで遠い場所にあったものだから、はっきりとした言葉で確認したい。そんなところだろうか。
「グラスウェル=ヴァイカウント=レッドリア、に。元の貴族に、子爵家嫡男に、戻りたいですか?」
ぴしり、と。いつぞやのように、二人の間に緊張が走る。次にグラス様が口を開くまで、お互いに相手から目を離さずにいた。
「……俺、は」
グラス様が、静かに口を開いた。紡がれようとする言葉を聞き逃すまいと、固唾を飲んで彼を見守る。
「戻れるものなら、俺はその立場に戻りたい」
はっきりと、彼はそう答えた。こちらに向けられる薄群青の瞳はどこまでも真っ直ぐで、どこまでも美しかった。
「俺が子爵家の立場を取り戻せたという事は、両親の濡れ衣が晴れたという事になる。そして、真犯人が断罪されたという事でもある」
「……ええ、そうでしょうね」
疑われていたけれど状況的に犯人ではなさそうだ、だから元の特権階級に戻ります……だけでは、いつか必ず足元を掬われる事になるだろう。きちんと真犯人を見つけて罰しなければ、誰の目にも明らかに潔白だったと証明しなければ、あの手この手で陥れようとする輩はいくらでも出てくる。他人を卑劣な手で陥れてでも自分が優位に立ちたい。富を、土地を手に入れたい。そんな欲望が渦巻く混沌とした世界が、自分たち貴族の戦場なのだ。
「俺が海賊団を立ち上げたのは、両親の嫌疑を晴らし真犯人を断罪するため。尊敬していた二人の汚名を返上して、もう一度レッドリア家を復興し、かつての生活と手に入れるはずだったものを取り戻すためだ」
とつとつと、グラス様が語っていく。ランプの光が揺れて、彼の美貌を怪しく照らした。
「それに、今の俺にはお前がいる。公爵家次女で海軍に連なる女性を正式に妻にするのであれば、元の肩書があった方が何かと助かるだろう。俺たちは本来婚約者同士で、結婚する未来が取り決められていた、と言うのならば尚更な」
「……グラス様」
彼が描いたその後に、自分との関係も含まれていた。約束を違えるお方ではないと信じていたけれど、改めて言葉として聞くと……それは、とても嬉しいものだった。
「わたくしは、たとえあなたがこのまま船の上を選んでいたとしても、ついていくおつもりでした。そのためならば、自分自身を作っている概念の一つである『公爵家令嬢』と『海軍大将名代を任じられた海軍少尉』という立場を、失ってもいいと思っていたのです」
立場を失ったとしても、矜持を捨てる必要はない。だから、いざとなればその立場を無に帰す事になってもいいと思っていたが……出来る事なら、まだ人にそう思われていたかった。
「お前に、俺と同じ所まで堕ちる事を求めるつもりはない。もちろん、それだけの覚悟をしてくれていたのだ、という気持ちは嬉しいがな」
「……道連れにするのは、従者だけ?」
「背景を考慮しなければ、夫と妻は対等だからな。従者と言うのは文字通り主に追従するものだという認識でいるが、妻は対等なのだから無理に追従させる必要ないだろう。妻本人がついていくと言った場合は、遠慮なく連れていくが」
「そう、ですの。妻は……わたくしの事は、自分と対等だと思って下さっているのね」
不遜な言い回しかと思ったが、彼はそれを指摘する事なく頷いてくれた。そして、一歩近づくと、わたくしの肩に手を乗せて、じっと瞳を捉えてきた。
「そうだ。前から、いずれ迎えるだろう妻に、俺は……ついて来いというのではなく、俺の隣で、同じ目線で生きようと伝えるつもりだった。そう言って、二人肩を並べて生きていきたいとな。お前となら、そんな生き方が出来ると信じている。ルカリアは、俺には十分すぎるくらいの、自慢の妻だ」
不意に、全身に熱が巡り、自分の目尻から涙が流れ落ちていった。未だ男尊女卑の風潮が蔓延るようなこの国で、妻と肩を並べて歩いていきたいと言ってくれる人が、その人が自分を妻としてくれたのだという事が、震える程に嬉しかった。
「それならば、グラス様」
「ああ」
「私たちの、正当な未来を。取り戻しに行きましょう」
「ああ」
「たとえそれが、困難な道なのだとしても。どんなに厳しい事が待っていようとも」
「ああ。俺たち二人ならば、必ず成し遂げられる」
そう言って真剣な眼差しになって微笑んだ、そんな愛しい彼の表情を。わたくしは生涯忘れないだろう。
「それならば、グラス様」
「何だ?」
いつもと変わらぬ、優しさと愛しさを秘めた薄群青の瞳。反撃のための提案を聞いても、その輝きは濁らないだろうか。
「……わたくしを、この船から降ろして下さい」
グラス様の動きが止まった。肩に添えられている手に、ぐっと力が籠められる。
「わたくしをこの船から降ろして、お父様の元に帰して下さい」
(続)
- テーマ:二次創作:小説
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:海賊将校と運命の花嫁(がくルカ長編)
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